敬語ではない敬語

 これも突然思い出した昔聞いた話である。身内の飲み会で、実際に醤油を取って欲しい時に話したらメチャ受けた気がしたので記憶に残っていた。

 確か、金田一春彦先生がTVで話されたことだと記憶している。
ーーー
 会食の席で醤油が手の届く所に無く目上の方の前にある状況で、醤油を取って欲しい時に何と言うべきかという敬語の問題である。
 もちろん答えは、「そのお醤油、取って頂けますでしょうか?」の類では無い。

 答えは「それ、醤油でしょうか?」だそうだ。
 よっぽど感の悪い人で無い限り、醤油を取って欲しいということを察してくれて目的を達せる訳だ。使役しているのでは無い点がポイントだろう。


 ただ、これは"敬語"と言えるのだろうか?。字面だけでは明らかに敬語とは言えない気がする。

 これは、敬語を使わないにも関わらす嫌な気持ちを起こさせない言い方が存在する、すなわち敬語を使うのが必然ではないということであり、聞いた人がどのように感じるのかが最重要であるいうことだろう。

 このことは敬語を考える前に知っておくべきことのような気がする。


 同じような状態で、日本語圏以外の方がどう言うべきなのか訊いてみたいが、残念ながらその機会はまだ無い。

 

月見バーガーが嫌い

 私がなぜ月見バーガーが嫌いかと言うどうでも良い話なのだが、月見バーガーの季節では無いうちに記す。
 これは阪神淡路大震災に関係するので気になる方はご注意を。

---

 と言っても、私が被災した訳ではない、父が芦屋に居て被災したため電車が何とか通るようになったころ様子を見に行った時の話である。
 父はマンションに居た(単身赴任)ため大きな被害無く無事であったが、隣の2階建ての家は潰れていてその家の人は無くなったそうである。
 揺れた時には電子レンジの中の回転皿が飛び出して怖かったそうだ。それくらい激しい揺れだった。

マンションはいくつか亀裂が有るもののパッと見て大丈夫そうだった。それに比べて近隣の木造の家屋の損傷は激しかった。大きく壊れたマンションもいくつかあったが、明らかに鉄筋コンクリートの建物の方が丈夫であると感じた。
 部屋にはなぜか安っぽい懐中電灯が10個くらい有った。くれると言うので貰ってしまうそうだが、電池は貰えないので使えない。
 街中では道路の真ん中に水道の蛇口が生えている。水道栓から簡単な配管をして水を使えるようにしてくれたものだった。
 そういう状況であったが、有り難いことにM印のハンバーガーショップは営業していた。ただ、バーガーのメニューは月見バーガーのみであった。冷蔵庫が使えないらしく、肉類は用意できないそうだ。値段は普通のバーガーの値段だった。バンズに目玉焼きだけ、少し割高な気もしたが有り難いことに変わりがない。

--

それ以来、月見バーガーの季節になりCMを見るたびにその頃の事を思い出す。
だから月見バーガーはそれ以来注文したことがない。

 

中国のAVは手強い

別に、わざわざ中国のAVを見たいと思うことが無かったので知らなかったのだが、先日たまたま目に入ってしまった中国のAVを見て、ある意味ですごいと思ってしまった。

---

1)女優男優とも体に直に制作会社(?)のロゴのシールが貼ってある。

#おいおい、見ている方も気になるだろうに・・・

2)背景にやたらと関係会社(制作、流通?、スポンサー)のロゴがある。

 壁のポスターが会社のロゴ、クッションにも大きくロゴ、などなど。

3)会社のURLが変化する

 映像の隅に会社のロゴとURLが常時表示されているのだが、そのURLが秒単位で変化する。ABC001.comの数字部分が変化していく感じ。すべて有効なURLなのだろう。

4)ロゴが泳ぐ

 映像中、薄白い(さすがに少し目立ちにくくしてある)ロゴが表示されてそれが画面内を映像内容とは無関係に漂う。

 

これらの施策で、画像差分などの処理によるオリジナルの出どころ情報の消去が著しく困難となっている訳だ。

 

意外に思ったこと その3:日本人は神が怖い

 この話は、かなり昔に読んだ本からであるので恐縮である。ふとしたことで思い出したので記す。
 人に勧められて読んだ本で、新書だった記憶が有るので無名な本ではないはずだが、思い出せず申し訳ない。
ーーーー
 日本ではいろいろなモノに神が宿るとされている。
神は五穀豊穣のやうな恵みももたらすも半面、何かしらの報いあるいは気まぐれにより災いももたらす。災いは、自然災害だけではなく、非日常的な出来事すべてが神の御業と考えられていた。具体的には出産、死亡、病気などである。それらが起こる際には近くに神が来ていると考え、そばに居るととばっちり(心当たりのある場合も多かろうが)を受けてしまうと恐れた。
 そのため、出産には男が立ち会うことは無かった。
 すもうの土俵に女性が上がるのを禁じるのも同様である。
すもうは神事である。月経のある女性は神が宿っていいて神同士の無用な争いを避けるためであろう。
 これらの状態は”穢れ”と呼ばれているが、不衛生だとか汚れているなどではなく、"神が近くにいる"と言うのが本質的な状態と考えられる。非日常的な出来事は穢れているので忌むべきこととされたのだ。


 この”忌む”とうのも、己の心と記すにも関わらす不幸な字である。
例えば”忌鎌”と検索してみるとわかるのだが、地鎮祭に使われる穢れを清めるための道具である。避けるべき道具ではなく、全く逆の印象を受ける。忌鎌は伊勢神宮では、神にお供えするための米を刈る道具でもある。忌という字は本来は単に神様用のという意味であったはずだ、それが神を避けたいということから今の意味が主になってしまった。


 もっと不幸なことは非人という身分がかつて存在したことである。
 これらの人々の役割は死を扱うことで有った。すなわち神が近くにいると考えられたため、一般の人とは生活そのものが区別されるようになってしまった。
神の御業に関する仕事であり、言わば神のお手伝いさんであった。すなわち、"人に非ず、神の使徒なり"というのが本当の所であった。

意外に思ったこと その2 クジラはカバの近縁

水生動物は、いったん陸生になった後に再び水の環境に適合したと考えられる。

Wikiによると

---海棲に適応した哺乳類のグループとして束柱類、海牛類、鯨類、鰭脚類、イタチ科およびイタチ亜科、水棲のナマケモノ類の六つが挙げられる ---

 

この6グループについて近縁種が何なのか、つまり共通の祖先は何なのかをまとめると次のようになる。

1.束柱類  1600万年ごろに絶滅、近縁種不明(草食)

2.海牛類[ジュゴンマナティ] ←象

3.鯨類[くじら、シャチ、イルカなど]  ←カバ

4,鰭脚類[あしか、あざらし、セイウチ,] ←熊

5,イタチ科およびイタチ亜科 ※そのまま陸生種あり

6,ナマケモノ類 ※そのまま陸生種あり

 

 

意外に思ったこと その1:訓読みにも中国語由来のものがある

漢字の読み方には音読みと訓読みがあり、

『音読みは中国語由来、訓読みはもとから日本にあった言葉を当てたもの。』

という説明されている。

ところが、学者の間では『訓読みにも中国語由来と考えられるケースが結構有る。』

そうである。

訓読みについてのWikiにも解説されていて、

・・・早い段階(殆どは古墳時代以前)に流入し、そのまま訓読みとして後世に認識されたパターンがある・・・

と記されている。

例えば"山"、中国語よみはシャン[shan](厳密にただしくないかも)。

音読みについては、シャ[sha]という発音は昔の日本ではなじみがなかったそうで、[sha]→[sa]でサン[san]という読みになった。

訓読みは少し別の変化をしたと考えられる。

まず、[sha]→[ya]という変化で[yan]。

次に、nとmは区別があいまいだったそうで[yam]。

さらに、子音で終わる単語は日本語ではなじまないので母音のaがついて[yama]。

訓読みのヤマができあがりである。

という訳で、少なくともヤマは”山を指す日本固有の発音だ”とは言い難い。

wiki では「うま(馬)」、「くに(国)」、「ふで(筆)」が中国語由来の訓読みの例として挙げられている。

結構な割合の単語について訓読みが中国語由来だと説明可能だそうである。

ーーーー