意外に思ったこと その3:日本人は神が怖い

 この話は、かなり昔に読んだ本からであるので恐縮である。ふとしたことで思い出したので記す。
 人に勧められて読んだ本で、新書だった記憶が有るので無名な本ではないはずだが、思い出せず申し訳ない。
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 日本ではいろいろなモノに神が宿るとされている。
神は五穀豊穣のやうな恵みももたらすも半面、何かしらの報いあるいは気まぐれにより災いももたらす。災いは、自然災害だけではなく、非日常的な出来事すべてが神の御業と考えられていた。具体的には出産、死亡、病気などである。それらが起こる際には近くに神が来ていると考え、そばに居るととばっちり(心当たりのある場合も多かろうが)を受けてしまうと恐れた。
 そのため、出産には男が立ち会うことは無かった。
 すもうの土俵に女性が上がるのを禁じるのも同様である。
すもうは神事である。月経のある女性は神が宿っていいて神同士の無用な争いを避けるためであろう。
 これらの状態は”穢れ”と呼ばれているが、不衛生だとか汚れているなどではなく、"神が近くにいる"と言うのが本質的な状態と考えられる。非日常的な出来事は穢れているので忌むべきこととされたのだ。


 この”忌む”とうのも、己の心と記すにも関わらす不幸な字である。
例えば”忌鎌”と検索してみるとわかるのだが、地鎮祭に使われる穢れを清めるための道具である。避けるべき道具ではなく、全く逆の印象を受ける。忌鎌は伊勢神宮では、神にお供えするための米を刈る道具でもある。忌という字は本来は単に神様用のという意味であったはずだ、それが神を避けたいということから今の意味が主になってしまった。


 もっと不幸なことは非人という身分がかつて存在したことである。
 これらの人々の役割は死を扱うことで有った。すなわち神が近くにいると考えられたため、一般の人とは生活そのものが区別されるようになってしまった。
神の御業に関する仕事であり、言わば神のお手伝いさんであった。すなわち、"人に非ず、神の使徒なり"というのが本当の所であった。